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伊藤博文【初代内閣総理大臣】伝説の名言10 [名言集]

伊藤博文 (いとうひろぶみ)

明治政府で最大の指導者である。
日本国初代内閣総理大臣に就任。
大日本帝国憲法の制定に際して
中心となって活躍、
天皇制近代国家枠組みをつくる。

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伊藤博文の伝説の名言 10


01 大いに屈する人を恐れよ、
   いかに剛にみゆるとも、
   言動に余裕と味のない人は
   大事をなすにたらぬ。

02 今日の学問は全て皆、実学である。
   昔の学問は十中八九までは虚学である

03 いやしくも天下に一事一物を
   成し遂げようとすれば、
   命懸けのことは始終ある。
   依頼心を起こしてはならぬ。
   自力でやれ。

04 お前に何でも俺の志を継げよと
   無理は言わぬ。持って生まれた
   天分ならば、たとえお前が乞食に
   なったとて、俺は決して悲しまぬ。
   金持ちになったとて、喜びもせぬ。

05 たとえここで学問をして業が成っても
   自分の生国が亡びては何の為になるか

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06 本当の愛国心とか勇気とかいうものは
   肩をそびやかしたり、目を怒らしたり
   するようなものではない。

07 国の安危存亡に関係する外交を軽々し
   く論じ去って、何でも意の如く
   出来るが如くに思うのは、
   多くは実験のない人の空論である。

08 憲法を考える上で、総理大臣も
   秘書官もない。私の言うことが
   間違っていたら、それは間違いだと
   徹底的に追求せよ。君らの言うこと
   がわからなければ、私も君らを
   徹底的に攻撃する。互いに攻撃し
   議論するのは、憲法を完全なものに
   するためである。くり返すが、
   長官だの秘書官だのという意識は
   一切かなぐり捨てて、討論・議論を
   究めて完全なる
   憲法をつくろうではないか。

09 現在の日本は地平線から出たばかり
   の太陽である。暁の雲から出た
   ばかりの太陽は光が弱く、色も薄い
   だが、その太陽はやがて中天まで
   くると、全天に輝きわたる。
   これと同じように、日本もまもなく
   世界に雄飛し、日の丸の旗は尊敬の
   念を持って世界の人々から
   見られるようになるだろう。

10 われわれに歴史は無い。
   我々の歴史は、今ここからはじまる




伊藤博文 (いとうひろぶみ)

天保12年9月2日ー
(1841年10月16日)

明治42年10月26日
(1909年10月26日)

日本の武士(長州藩士)、政治家。
位階勲等爵位は従一位大勳位公爵。
周防(すおう)(山口県)の農民の子
で、長州藩の私塾松下村塾に学び
幕末期の尊王攘夷・倒幕運動に参加
維新後は薩長の藩閥政権内で力を
伸ばし、岩倉使節団の副使、
初代兵庫県知事(官選)を努め、
大日本帝国憲法の制定など、天皇制
近代国家の枠組みをつくった。
条約改正を実現し、日清戦争を遂行
33年政友会を創立して総裁。
38年日露戦争後、統監府の初代の
統監となり朝鮮併合をすすめる。
42年10月ハルピン駅で安重根に
暗殺された。
天皇に諌められる程の好色家。
ふぐ料理を一般化したことも有名。

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