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田中角栄は天才政治家!年表で見る田中角栄の一生! [田中角栄]

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田中角栄は、戦後最大の宰相(首相)と言われ、

人の心をつかみ、人を動かした天才政治家である。


「日本列島改造論」、「日中国交正常化」は、

田中角栄でなければ成し遂げる事は不可能であった。



この記事では、田中角栄氏の 誕生から

・初めての選挙 28歳
・郵政大臣就任 39歳
・大蔵大臣就任 44歳
・第64代内閣総理大臣就任 54歳
・政界引退 71歳

そして75歳でこの世を去るまでの田中角栄という生き方を

年表形式でまとめてみました。



西暦、年齢、

経歴、

主な出来事(国内外)の順に

読み進めてください。



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質量ともに歴代総理ナンバー1の田中角栄氏

誕生からこの世を去るまでの75年間をまとめてみました。


田中角栄 年表



1918年 
   
新潟県刈羽郡二田村大字坂田に、父の角次、母のフメの次男として生まれる。
父の角次が様々な事業に手をだし失敗し、極貧生活を余儀なくされる。

米騒動が起きる。 第一次世界大戦の休戦協定。


1933年 15歳

二田尋常小学校を卒業。新潮社の新雑誌「日の出」の懸賞小説に応募。
佳作に選ばれて5円の賞金をもらう。

作家・小林多喜二が逮捕され虐殺される。



1934年 16歳

上京。大河内正敏子爵(理研コンツェルン創始者)を頼ろうとしたが面会できず、
井上工業東京支店に住み込む。後に雑誌「保険評論」の見習い記者に転職。
夜は私立中央工学校土木科で学ぶ。

室戸台風上陸。



1936年 18歳

中央工学校土木科を卒業。

2.26事件発生。



1937年 19歳

複数の建築事務所を経て、「協栄建築事務所」を設立。

日中戦争始まる。(盧溝橋事件)。



1938年 20歳

北満州にて兵役に就く。妹・ユキエ死亡の知らせを受ける。

国家総動員法施工



1941年 23歳

クルップ性肺炎により、内地に送還。大阪日赤病院に収容される。
10月に退院とともに除隊。
「田中建築事務所」を開設。(東京・飯田橋)。
事務所の家主の娘にして後の妻・坂本はなと出会う。

太平洋戦争始まる。



1942年 24歳

坂本はなと結婚。長男・正法が生まれる。(1947年、5歳で死亡)
「田中土建工業株式会社」設立。
当年度の年間施工実績全国50位内にランクインした。

ミッドウェー海戦。



1943年 25歳

長女・真紀子が誕生。

東京都政施工。



1945年 27歳

朝鮮での工場移転工事を請け負い、渡鮮。
終戦を朝鮮で迎え、帰国。
進歩党への300万円献金を承諾。
同党の大麻唯男から出馬を勧められる。

ポツダム宣言受諾、終戦。


初めての選挙 28歳




1946年 28歳

第22回総選挙。進歩党公認で立候補に踏み切る(新潟2区)。
「群馬県境の三国峠を切り崩せば季節風は関東に抜けて、
新潟のみんなが大雪に苦しむことはなくなる」と、
「雪をなくす」を公約の1つに掲げた。
37人中11位で落選。

公職追放令公布。
吉田茂が自由党総裁を受諾。



1947年 29歳

第23回総選挙に民主党から立候補し、12人中3位で当選(新潟3区)。
衆院建設委員となる。
臨時石炭鉱業管理法に反対し、民主党を離党。
同志クラブを結成。

日本国憲法施工。



1948年 30歳
民主自由党結成。選挙部長、新潟県四分幹事長に就任。
第2次吉田茂内閣発足。法務政務次官に就任。
炭鉱国管疑惑により逮捕。

大韓民国樹立宣言。



1949年 31歳

第24回総選挙に獄中から立候補し再選。

中華人民共和国成立。



1950年 32歳

建築士法案を提出。自身も一級建築士資格を取得。
長岡鉄道(現越後交通)社長に就任。
これに伴い、田中土建工業は閉鎖。

朝鮮戦争勃発。



1951年 33歳

炭鉱国管疑惑に対し、無罪判決が下る。

サンフランシスコ講和条約調印。


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1952年 34歳

第25回総選挙で1位当選。

ヘルシンキ五輪に日本参加。



1953年 35歳

中央工学校の校長に就任(1972年に退任)。
第26回総選挙で当選。

「バカヤロー」解散。



1954年 36歳

自由党副幹事長に就任。

第五福竜丸がビキニで被爆。



1955年 37歳

第27回総選挙で2位当選。

自由民主党が誕生。



1956年 38歳

義理の娘を池田勇人の甥に嫁がせる。

日本、国際連合に加盟。


郵政大臣就任 39歳




1957年 39歳

第2次岸信介内閣の郵政相に就任。
戦後初の30代での大臣就任となり、
テレビ局とp新聞社の統合系列化を推進した。

ロッテが「グリーンガム」発売。
長嶋茂雄の巨人入団が決定。



1958年 40歳

第28回総選挙で1位当選。

東京タワー公開開始。



1959年 41歳

自民党副幹事長に就任。

安保闘争が激化。



1960年 42歳

中越自動車株式会社社長に就任。
越後交通株式会社(旧、長岡鉄道)社長に就任。
第29回総選挙で1位当選。

日米安保条約発効。



1961年 43歳

自民党政務調査会長に就任。
新日本電建株式会社社長に就任。

ガガーリンが宇宙飛行に成功。


大蔵大臣就任 44歳




1962年 44歳

第2次池田勇人内閣で大蔵大臣就任。

女優マリリン・モンロー急死。



1963年 45歳

第30回総選挙で1位当選。

ケネディ大統領暗殺される。



1964年 46歳

父の角次死去(享年78).

東京オリンピック開幕。



1965年 47歳

自民党幹事長に就任(蔵相は辞任)。

米軍の北ベトナム空爆開始。


1966年 48歳

自民党に起こった「黒い霧事件」の責任を取る形で自民党幹事長を辞任。
その後、自民党都市政策調査会長に就任。

袴田事件が発生。
ビートルズが初来日。


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1967年 49歳

第31回総選挙で1位当選

「オールナイトニッポン」放送開始



1968年 50歳

自身がまとめた「都市政策大綱」が自民党総務会で了承される。自民党幹事長に復帰。

3億円事件発生。



1969年 51歳

長女・真紀子が、鈴木直人元衆議院議員の三男・直紀と結婚。直紀は田中性を名乗る。
第32回総選挙で1位当選。

東大安田講堂事件。
アポロ11号が月面に着陸。



1971年 53歳

第9回参院選で自民党が敗北し、幹事長を辞任。
通産相就任。日米繊維交渉が決着。

江夏がオールスターで9連続三振を樹立。


64代内閣総理大臣就任




1972年 54歳

佐藤派から分離独立する形で、田中系議員が旗揚げ。
「日本列島改造論」を発表。
佐藤首相が引退。
第64代内閣総理大臣に指名される。
新潟県出身者として初の首相。ハワイでニクソン大統領と会談。
9月、日中国交正常化を果たす。
第33回総選挙で1位当選。

浅間山荘事件。
札幌冬季五輪開幕。沖縄返還。



1973年 55歳

地下や物価が急上昇(狂乱物価)。
小選挙区制度導入を撤回。
日ソ共同声明発表。福田赳夫を蔵相に起用。
電源三法を成立させる。

金大中事件発生。円が変動相場制に移行。
第一次オイルショック。



1974年 56歳

第10回参議院選挙で自民党大敗。
「文藝春秋」に「田中角栄研究」が掲載される。
外国特派員協会で会見し、金脈問題について追求される。
11月に辞意表明。12月に田中内閣総辞職。
三木武夫内閣が発足。

ユリゲラー来日。
佐藤栄作元首相にノーベル平和賞。
長嶋茂雄が引退を表明。



1976年 58歳

ロッキード事件表面化。7月、外為法違反の疑いで
東京地検特捜部に逮捕される。自民党を離党。
その後保釈金2億円で保釈される。第34回総選挙で1位当選。
福田赳夫内閣発足。

児玉誉士夫邸にセスナ機が墜落。
毛沢東死去。



1977年 59歳

ロッキード事件丸紅ルート初公判。
田中自身は容疑を全面否定。 田中派「七日会」解散。

青酸コーラ事件。
エルビス・プレスリー急死。


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1978年 60歳

母・フメ死去。享年86。
鄧小平来日。目白邸を訪問。
福田赳夫内閣が総辞職し大平内閣発足。角栄内閣と呼ばれる。

日中友好平和条約調印。



1979年 61歳

ダグラス・グラマン航空機疑惑が新たに浮上し、
衆参両院のロッキード問題特別委が、航空機輸入特別委に改称。
第35回総選挙で1位当選、自民党は大敗。

ソ連がアフガニスタン侵攻。



1980年 62歳

大平正芳首相急死。遺体のもとに駆けつけた角栄は
「まさしく殉職だ」と涙を流した。
鈴木善幸内閣発足。第36回総選挙で1位当選、自民党も圧勝。

日本がモスクワ五輪ボイコット。
ジョン・レノン射殺。



1981年 63歳

「文藝春秋」にインタビュー記事掲載。総理復活への質問に、
「考えたこともない。なろうとしてなれるものじゃない。」
ロッキード事件丸紅ルート公判で、榎本敏夫のもと夫人、
三恵子が夫のアリバイを崩す証言。「ハチの一刺し」として有名になる。
二階堂進が自民党幹事長に。

レーガン大統領就任。



1982年 64歳

上越新幹線(大宮ー新潟)が開通。
角栄は新幹線で新潟入りし、
「これで新潟の産業は力を持つ。生産力は5倍、10倍に増えるだろう」。
中曽根政権発足。
田中派から6人が入閣し「田中曽根内閣」とからかわれる。

ホテルニュージャパン火災。
500円硬貨発行。



1983年 65歳

前年自民党総裁選に立候補していた中川一郎議員が自殺。
遺体のもとに駆けつけた角栄は、「バカヤロー、俺よりなんで先に死んだ!」と号泣した。
ロッキード事件で有罪判決(懲役4年、追徴金5億円)。
第37回総選挙で1位当選。

東京ディズニーランドオープン。



1984年 66歳

田中派総会に出席し、中曽根内閣への協力を明言。
田中派(木曜クラブ)は総裁候補を出していなかったが、
田中は「われわれが本流。カゴを担ぐ人のわらじを作っているのが諸君であり、
私は敬意を表する」と呼びかけた。

グリコ・森永事件発生。


1985年 67歳

目白邸での新年会の挨拶。
沈黙は金なり。長いあいさつをするバカはいない。謹賀新年、正月元旦。これだけ」と
変化を見せた。2月、脳梗塞に倒れ東京逓信病院に入院。個人にむしょが閉鎖される。

プラザ合意。
「ロス疑惑」の三浦和義逮捕。



1986年 68歳

第38回総選挙で1位当選。17万9062票を集めたが、
角栄自身は選挙運動が全く行えず、支持者たちによる選挙活動に。
なお、田中は4年近くの任期中、一度も登院できなかった。
自民党も圧勝。毎日新聞が「車椅子の田中角栄」をスクープ。

チェルノブイリ原発事故。
アイドル岡田有希子が自殺。



1987年 69歳

新年会に訪れた竹下登を門前払い。出版社・山手書房が倒産。
「田中角栄は死なず」「君は田中角栄になれるか」などの田中角栄シリーズで人気を博した。
ロッキード裁判控訴棄却。西山町を訪問。竹下登が経世会を旗揚げ。竹下内閣発足。

朝日新聞阪神支局襲撃事件。
石原裕次郎死去。


政界引退 71歳




1989年 71歳

政界引退が、田中真紀子の婿・直紀氏から発表される。
「顧みて我が政治生活にいささかの悔いもなし」との声明文が読み上げられた。
勤続43年、当選16回。

昭和天皇崩御。
消費税施行。



1990年 72歳

海部俊樹首相が衆議院解散。正式に政界引退。
新潟県越山会が県選管に解散届を提出し、解散。前後して各地の越山会も解散した。

勝新太郎が麻薬密輸容疑で逮捕。



1992年 74歳

中国の江沢民総書記が目白邸を訪問。日中国交回復20周年で招待され訪中する。

尾崎豊死去。



1993年 75歳

第40回総選挙で娘の田中真紀子が1位当選。
角栄自身も新潟入りし応援活動。
翌日は当選の御礼に車で地元を回る。

新宿区の慶応大学病院に転院。
12月16日、午後2時4分、慶応大学病院で死去。享年75。
死因は甲状せん機能障害に肺炎の併発。
戒名は 政覚院殿越山徳栄大居士。

墓所は新潟県柏崎市(旧西山町)田中邸内。
ロッキード事件は上告審の審理途中で控訴棄却となった。


皇太子さま・雅子妃が結婚。
Jリーグが開幕。

(引用 宝島社・田中角栄という生き方)



まとめ



田中角栄の一生は、
いかがでしたでしょうか!

表にすることで、田中角栄の歴史と
日本国内外の出来事が、同時に読み込めますね。


母から15円のお金をもらって16歳で上京し、
初当選が29歳、71歳の引退表明まで16回の当選、
勤続43年という記録的な政治活動です。

中でも、日中国交正常化を成し遂げた功績は、
他に比較のしようがない貢献と言えます。


凄まじい修羅場を生き抜いた天才政治家・田中角栄!

天才政治家・田中角栄は、これからも見直され続けるでしょう。


最後まで読んで頂きありがとうございます。


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